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2026.03.24

寄稿:島に生き、島を診る。離島医療の日々

案件番号:26-ARD0006 施設・自治体名称:(ながさき地域医療人材支援センター

寄稿:島に生き、島を診る。離島医療の日々

 

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離島医療の楽しさとやりがいを皆様にお伝えしたいという思いが、今回の寄稿の動機でした。お暇な時にでも目を通していただければ幸いです。

長崎県平戸市国民健康保険 度島(たくしま)診療所
所長 羽田野 和彦

島の医者

私は子供の頃から釣りが大好きで、医学部時代には医者人生の最後を離島で過ごすと決めていました。昭和62年に長崎大学を卒業した後は、消化器外科医として急性期病院で働いた後、10年ほど前より離島医療(平戸市度島)に携わっています。島の医者、その暮らしぶりなどについて、お伝えしたいと思います。

度島について

度島をご存知の方はあまりいらっしゃらないかもしれません。平戸島の北西沖に浮かぶ人口500人足らずの小離島です。生業としては船乗りさんが多く、遠洋漁業や貨物船で島を長期間離れるため、残った女性が島を守ります。出漁の前日には、どんな嫌なことがあっても妻が耐え忍び、夫婦喧嘩を絶対しないそうで、出航後は、島の各所に祀られている祠に奥さん達がお参りし、豊漁・安全を祈願されます。満月(白月・しらつき)の前後には休漁となり、船団は島に帰ってきますので、お父さんの帰りを待ちわびた家族は、港でお迎えします。船乗りという危険な労苦に感謝されているのでしょう、離婚家庭はありません。学校は小・中併設でおよそ40人程度の規模です。幼稚園児のような子から、髭を生やした中学生までの混成学級で、人数不足のためか、いじめグループは形成されず、上級生からの面倒見も良く、不登校の子の話を聞いたことがありません。島内に進学塾はなく、自然の中でのびのびと遊び育ち、素直な子ばかりで、クレーマー保護者もいないので、教員は度島から転勤したくないと口を揃えて言います。お父さんを慕って船員学校に進学する子も多く、子育てをしやすいのか、3人以上の子供さん家庭が多いので、高齢化率は平戸本島より低く、小離島にしては若いコミュニティーです。また、3世代同居の家庭は普通で、4世代家庭のF家のひいじいちゃんは、まだバリバリの現役漁師として活躍し、一家の総長として家族から尊敬されています。

島の文化と生活

島にはコンビニ、食堂、居酒屋、交通信号、消防署はありません。火災・急患搬送の際は、地元消防団の自助に頼っています。犯罪が無いので警察官はいないのですが、病気は発生しますので、診療所は必要とされる優先度が高く、医師の私、看護師2名、事務員1名のスタッフは島民から大事にされています。地域の絆は強く、お互いが助け合い、昔ながらの行事、しきたりが多い島です。真新しい普通車を見る事はなく、軽トラ、テーラーが島内を闊歩しており、この島の文化、生活のありようは、逝きし昭和の面影を遺す島だと言えるでしょう。

医療について

診療所は外来患者数がおよそ15人/日程度で、朝のルーティーンとしてマッサージや電気治療を目的に受診されるお年寄りも多く、待合室はサロン化し、笑い声が響き渡ります。医師住居は診療所の2階にあるので、患者さんが少ない午後は住まいに戻り、のんびりと自分自身の時間を過ごす事が出来ます。検査機器は開業医程度の設備があり、外傷の縫合などは行いますが、高度の医療を必要とする患者は相応しい医療機関へ紹介することとなり、自他ともに認める<紹介屋>としての役割を担っています。患者さんの生活背景についても少しずつ知るところとなり、悩み事の相談を受けることもしばしばです。

学習と研鑽

私の年代は卒業後、そのまま外科教室に入局しましたので、他科の研修は受けていません。内科、整形外科はなんとかなるかと思っていましたが、最も不安に感じていたのが小児科です。熱のある乳飲み子を抱えてくる母親の前で自分の無力を痛感し、これは一から勉強すべきだと思いました。幸いにも平戸市内に小児科のK先生がいらっしゃったので、ご迷惑を承知で外来の見学を申し込んだところ、事情を理解していただき、快く引き受けて下さいました。この還暦研修医に対しても懇切丁寧に、46回にわたって教えていただいたお陰で、小児科の守備範囲がやや広がり、不安要素が少なくなりました。島を出て夜の研究会などに出席するのは容易ではなく、かといって医学書を読破する気力もありませんので、オンラインで配信されているCareNeTVによって多くの専門医のセミナーを視聴し、広い領域の実地医療を学習しています。長崎県は日本一離島が多く、慢性的な医師不足が続いています。ながさき地域医療人材支援センターは全国から離島へ従事される医師をWebで公募されていますが、総合診療に対する不安払拭の取り組みとして、不得手な診療科を研修できる〈キャリア・デベロップメント支援事業〉を開設されました。小児科の研修経験から私の意見も取り入れて下さいました。

離島での暮らし

自宅から島までの通勤は、月曜の早朝に車で1時間かけて平戸桟橋へ行き、フェリーに乗って島に入り、金曜日の夕方に帰宅するという単身赴任の生活で、土日は自宅で過ごします。元気で留守なので、女房から嫌われてはいないようです。離島で生活するまでは、作れる料理といったら焼き肉ぐらいでしたが、郷に入れば何とかなるもので、釣った魚や、地域の方々から頂くお裾分けなどでワンパターンの男料理を作り、一人で晩酌します。夜は何もする事がないので、8時頃には床に就き、翌朝4時には目を覚まし、マイボートで海に出ます。時化の朝にはピアノを弾いたり、本を読んだりと、優雅で充実した島生活を送っています。

救急医療とオンライン診療

島は海に囲まれていますので、時間外診療を簡単に受けられない地域特殊性があります。私が不在となる休日の急患については、島内の看護師が患者さん宅へ出向き、電話で私の意見を聞くという場面が度々ありました。看護師を介した伝言ゲームで病状を聞き、対応を考えていましたが、一つ一つの問診に時間がかかり、判断にも自信が持てないところがありましたので、症候ごとに問診票を作り、十分な病歴をとってから私へ連絡してもらうようにしました。例えば腹痛の患者には、14の病状項目を聴取してもらい、漏れがない情報をもとにタブレットを使ったオンライン診療を行っています。さらに看護師には週3日、勉強会を行って、問診の意味、身体所見の取り方などを説明、指導しており、今では研修医レベルの能力があります。ある土曜の朝、心窩部痛を訴える患者さんがいるとの連絡がありました。タブレット越しに看護師の触診による腹部所見を見せてもらったところ、右下腹部に反跳痛を認め、急性虫垂炎と診断し緊急手術につなげた症例もあります。コロナ禍以降、医師が島にいなくてもオンラインなどで急患を診ることができる時代になりました。ながさき地域医療人材支援センターからの代診医派遣のお陰もあり、年末年始には2週間ほどの休暇をとり、ニュージーランドでグライダー三昧の日々を送りますが、上昇気流に乗って滑空中に、片麻痺症状の患者さんの電話を受け、南半球からの搬送指示を出したこともあります。

釣りと島の恵み

前述のとおり、私は正真正銘の釣りバカドクターでして、そのような者にとって島はユートピアです。私が狙うのは、クエという高級魚です。まず、餌となるイカを釣って船の生け簀に入れておき、漁師さんから教えていただいたポイント、クエのアパートに生きイカの行商です。大物が喰いつくと、ヘミングウェイの『老人と海』よろしく、竿先が海に突き刺さる怪力との格闘が始まります。釣り上げたクエは、診療の合間に捌いて、診療所のスタッフや患者さんに配り、その夜はクエのしゃぶしゃぶで勝利の美酒に酔いしれます。昨年、24kgのクエを釣り上げ、佐世保市の水族館に寄贈したことがあり、先日、彼に会いに行きました。飼育員の話では、大水槽に飼われている中型のサメも食べるらしく、食い放題の環境で子供たちの人気者になっていました。

島の素晴らしさ

専門外のことも幅広く対応する“なんちゃってなんでも屋”ではありますが、文句を言う患者さんはいません。医療訴訟保険も解約しました。人々はおおらかで、寛容あふれる空気が流れ、お年寄りは家族に囲まれながら海や畑でいきいきと生活されています。寝たきりの方はいらっしゃらず、ピンピンコロリと逝かれる方が多いように思います。島には便利さやステータスはありませんが、かつての日本にあったような穏やかな〈幸せ〉が残っているようです。この島に来て、そして医者になって良かったな、とつくづく思います。釣りが出来なくなるか、本格的な認知症になるまで、このユートピアで医者を続けたいと思っています。

〈寄稿していただいた方〉

長崎県平戸市国民健康保険 度島(たくしま)診療所
所長 羽田野 和彦 先生

略歴:
昭和62年 長崎大学医学部卒業、同第一外科入局
その後、医局関連病院にて研鑽
平成10年 佐世保中央病院勤務
平成27年 平戸市度島診療所勤務

ながさき地域医療人材支援センター

寄稿:島に生き、島を診る。離島医療の日々

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