記事・インタビュー
Episode6(最終回) がんばってくれたこの身体が愛おしい
最期を在宅で過ごしたい。そんながん患者にとって悩ましいのは外来通院から在宅医療への移行期だ。
がんのDisease trajectory の特徴は終末期における急激な身体機能の低下。在宅医療の導入条件である「通院困難な状態」を待っていると、主治医として関われる時間は週の単位、ケースによっては数日ということも。この短期間で「最後の主治医」として患者に関わることは双方にとって負担が大きい。
そこで悠翔会では、在宅療養を希望する患者とできるだけ長く伴走させてもらうため、一部のクリニックで緩和ケア外来に取り組んでいる。
ある日、僕の外来に70歳になったばかりの女性が受診された。
3年前に健康診断で便潜血陽性を指摘。下部消化管内視鏡検査で上行結腸癌と診断。病院の診療チームは治癒も可能と判断したが、本人は治療を希望せず、その後、外来で経過観察のみ行われていたが肝転移が出現、徐々に増大しているという。
病院で改めて治療しないという方針を確認され、自宅で最期を過ごしたいという希望があったことから当院の外来を紹介されたのだった。
診察室で初めて出会った彼女は年齢のわりには若く、聡明に見えた。
「治療をしないと決めています。そろそろ先が見えてきたということで、病院から先生を紹介されました。最後まで自宅で過ごすことだけが望みです」
そういうと彼女はまっすぐに僕の目を見た。
治療を拒絶する患者は少なくない。
ただし、それはその人の価値観というよりは、病状や治療に対する不十分な理解、あるいは誤った認識が要因になっていることが多い。
既往歴もないし全身状態も良好。まだまだ闘える。
本人にとっても家族にとっても、生命予後が延長することの価値は十分にあるはず。
僕は改めて病気のこと、治療の選択肢について、治療を選択した場合、しなかった場合の経過の見通しについて丁寧に説明した。
彼女は静かに僕の説明が終わるのを待つと、再び口を開いた。
「自分のこれまでの人生は十分に幸せでした。やるべきことは全てできました。治療をして命を延ばすことで、自分の人生のレール自体が変わってしまう、自分の人生の意味が変わってしまうように思うのです。がんも含めて、これが自分に与えられた人生だと思って受け入れたい。それが自分の人生を生きるということだと思うのです」
先生が治療につなぎたい気持ちはわかる。
でも、どうか理解してもらえませんか。
彼女を説得するつもりが、僕が彼女に説得されていた。
彼女の決断が自身の強い意志に基づくものであることを理解した僕は、支援方針を「彼女の残された時間をできるだけ豊かにすること」に切り替えた。
その後、彼女は月に1度、顔を見せてくれた。
そしてこれまでのこと、いまの生活のことをいろいろ教えてくれた。
夫が他界した後、家を処分し自分で新しい住まいを見つけ、自由に暮らしてきたこと。その新しい家がとても気に入っていること。子どもたちも自分の気持ちを理解し、合意してくれていること。いまも子どもや孫と毎週末、素晴らしい時間を過ごしていること。平日には親友が遊びに来て、一緒に麻雀を楽しんでいること……。
4回目の診療は往診となった。
下肢の浮腫が急激に悪化、利尿剤への反応も悪く、これにより彼女のADLは急速に低下していった。訪問看護師の提案により弾性包帯を使用するも、自分で巻くことはできず、排泄や食事も介助が必要な状況に。
「がんの終末期というのはけっこう大変なんですね」一度だけそんな言葉を漏れ聞いたが、治療しないという選択に対する後悔を思わせる言動はなかった。
そして、診療のたびに自分のこれまでの人生と家族への感謝の言葉を重ねながら、子どもたちに囲まれて静かに旅立っていかれた。
“The Universe is made of stories, not of atoms.”
(世界は事実ではなく、物語でできている)
これはアメリカの詩人、ミュリエル・リューカイザーの詩の一節だ。
人生は選択の連続だ。
その選択の積み重ねがそれぞれの人生を形作っていく。
彼女は、がん治療によって人生の物語の最終章を誰かに書き換えられてしまうよりも、自分自身が描いてきた物語を思い通りに完成させることを優先したのかもしれない。
「70年間、がんばってくれたこの身体が愛おしい」
彼女が遺した一言は、70年間の物語の執筆活動を終えた自分自身への、ねぎらいの言葉だったのかもしれない。
果たして僕の物語の執筆者は本当に自分自身なのだろうか。
彼女の生き様は、僕にそんな問いを投げかけているような気がする。
※ドクターズマガジン2024年7月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
佐々木 淳 ささき じゅん
医療法人社団 悠翔会 理事長・診療部長/内閣府規制改革推進会議 専門委員(医療・介護・感染症対策)
1998年筑波大学医学専門学群を卒業後、社会福祉法人三井記念病院の内科研修医になる。消化器内科に進み、おもに肝腫瘍のラジオ波焼灼療法などに関わる。2004年東京大学大学院医学系研究科博士課程に進学。大学院在学中のアルバイトで在宅医療に出合う。「人は病気が治らなくても、幸せに生きていける」という事実に衝撃を受け、在宅医療にのめり込む。2006年大学院を退学し在宅療養支援診療所を開設。2008年法人化し、現職。2021年内閣府規制改革推進会議専門委員。現在、首都圏ならびに沖縄県(南風原町)等にクリニックを展開し、約8100人の在宅患者に24時間対応の在宅総合診療を提供している。
- Episode1:本当に大事なものは何か
- Episode2:ポテンシャルと選択肢
- Episode3:子どもたちに噓は通用しない
- Episode4:「言葉を発しない」という意思表示
- Episode5:無力感からの願い
- Episode6:がんばってくれたこの身体が愛おしい ※今回
佐々木 淳
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