記事・インタビュー
国立病院機構東京医療センター 総合内科医長
本田 美和子
高齢社会を迎えた日本では、加齢によって認知機能が低下するにつれて自分が受けているケアや治療の意味が理解できなくなり、拒絶や暴言・暴力行為などを表出する高齢者に対面する医療・介護者が増えています。
現在の医学・看護学は「治療の意味が理解でき、検査や治療に協力してもらえる人」を対象とすることを前提にしていますが、認知機能が低下した方々にとってはその前提条件は必ずしも得られていません。提供される医療やケアが自分のためと理解できずに激しく抵抗する人々に、ケアを行う人が疲弊して職を辞すなど、看護・介護人材の離職にも直結しています。ケア困難となる状態は本人だけでなくケア提供者にも心理的ストレスを生じさせています。認知症の行動・心理症状の増悪は、周囲環境からのストレスが契機となることから、ストレスを感じさせないケアの重要性が老年医学のみならず、多くの臨床の現場において認識され始めています。
医療者が届けたいと思う医療やケア、技術が多数あるにもかかわらず、本人に拒絶されてしまうために質の高い医療の実現が困難となることを多くの医療従事者が経験しています。しかし、このような状況下に「何を、どのように行えばよいのか」を具体的に学ぶ機会は限られており、結果として困難に直面した本人の経験や資質に依存した取り組みを行わざるを得なくなっています。
このような事態に医療従事者がどのような行動を取るべきかを考えていたとき、日本航空の月刊誌で紹介されていた、フランスで30年以上にわたって医療・介護の現場で教えられているケア技法「ユマニチュード」の存在を知りました。そして、その記事を読んでから3年後の2011年の秋に、まとまった休みがとれたので、実際にフランスに見に行ってみることにしました。
フランスでの実習を交えた見学を通して私が学んだことは、医療の現場で起きている事象は日本もフランスも同じであり、フランスのこの技法は日本でも十分に役立つものになるであろうという確信でした。帰国後、周囲の同僚の看護師たちに話をしてみたところ、多くの看護師が「この技法を学びたい」と興味を寄せてくれました。皆、何らかの形で現状を変えて行くことの必要性を強く考えていたのです。
まずは、国立病院機構東京医療センターの看護部の支援のもとに、フランスから指導者を招き現場の看護師を対象とした研修を実施しました。2012年の夏のことです。研修を受けた看護師の活躍が看護研究や、看護雑誌で紹介されるにつれ、この技法を学びたいという専門職の希望が数多く寄せられるようになりました。2014年の全日本病院協会での研修を端緒とし、現在では東京医療センターの事業として毎月入門研修を開催しています。さらに、施設単位でこのケア技法を導入するためのリーダー研修も始めました。現在までに全国から1500人を超える医療・介護の専門職がユマニチュードの研修を受けています。
ケアに関する教育を進める一方、ケアの効果の客観的な評価も必要となってきました。このケア技法の日本導入当初から、私たちは静岡大学や京都大学の情報工学、人工知能の専門家との共同研究を行っています。「よいケアとは何か」について情報学の立場から分析することで、再現性があり、客観的な指標を用いたケアの評価が可能となってきました。これまでの研究結果をふまえた、遠隔地教育システム制作も始まっています。
高齢社会の先進国として、日本の高齢者ケアは注目されています。私たちの研究結果をアジア地域で紹介してほしいという要望や、ユマニチュード発祥のフランスから活動報告要請も多く寄せられるようになりました。質を高めて、ケアを受ける人、ケアを行う人双方が満たされるケアを実現させることは、現在ケアを受けているご高齢の方々に役立つのみならず、すべての人々に確実に訪れる高齢者としての日々を、より良いものにするための社会的財産になりうると、私は考えます。
ほんだ・みわこ
1993年筑波大学卒業後、東京医療センター、亀田総合病院、国際医療センターにて勤務。1998年米国トマス・ジェファソン大学にて内科レジデント、コーネル大学病院老年医学科フェローを経て、国際医療センターエイズ治療・研究開発センター、2015年より現職。ジネスト・マレスコッティ研究所日本支部代表も務めている。
※ドクターズマガジン2016年9月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
本田 美和子
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