記事・インタビュー

2017.10.26

【Doctor’s Opinion】“ 気”とは何か?

聖路加国際病院リウマチ膠原病センター
副医長

津田 篤太郎

 私は西洋医学ではリウマチ科診療に当たる一方で、漢方診療にも携わっている。よく、「漢方を教えてください」と求められるが、陰陽虚実・気血水など、漢方独特の概念を持ち出すあたりで難しい顔をされてしまう。

そこで「陰陽とは、病の急性・慢性のこと」「虚実とは、体力の弱い・強いのこと」というように、手っ取り早い〝意訳〞を交えて説明する。でもちょっと違うんだよなぁ…という思いを抱きつつも取りあえず話を前に進める。

「気血水」だと、血は血液のこと、水は水分、体内のH2Oのこと、ということでなんとか通るかもしれないが、「気」は生体を流動するエネルギー…などと言い出すところで一気に胡散臭さが増してくる。エネルギーの実体は何なのか? 生体を流動するとは、どういう意味なのか?

鍼灸医学では経絡という全身に張り巡らされたネットワークを措定し、経絡を通り道として「気」が行き来していると考える。経絡上に経穴(ツボ)があり、経穴を刺激して「気」の流れを調整することにより様々な病気を治療する。これまで長い間、経絡や経穴の存在を解剖学的に証明する試みが際限なく繰り返されてきたが、今まで一人として経絡の可視化に成功した学者はいない。

経絡や「気」といった、UFOのように正体不明な概念を、現代医学の文脈でどう扱っていったらよいのか――そんな疑問から、歴史を少し紐解いてみると、「気」という言葉が思ってもみなかった文脈で、驚くような意味で使われているのを目にすることがある。

その一例が、文天祥「正気の歌」である。文天祥は中国南宋時代の政治家・武将で、北から押し寄せるモンゴル帝国から南宋を守り抜こうと奮闘するも、時に利あらず敵方の虜囚となった。大変な教養人で人望も厚かったため、モンゴルのフビライ=ハンは何度となく自分に仕えるように説得を続けたが、彼はこの名高い漢詩をしたためて断りの返事とした。

「正気」は狂気の反対語としてのショウキではなく、セイキと読む。私は、正しい「気」、あるいは「気」の正しい意味、という風に考えているがどうだろうか。「正気の歌」冒頭を読んでみる。

天地に正気有り
雑然として流形を賦(さづ)く

下りては則ち河嶽(かがく)と為り
上りては則ち日星と為る

人に於ては浩然(こうぜん)と曰(い)い
沛乎(はいこ)として蒼冥(そうめい)に塞(み)つ

皇路清夷なるに当たりては
和を含みて明廷に吐く

時窮すれば節乃(すなわ)ち見(あらわ)れ
一一丹青に垂る

大宇宙には「気」というエネルギーが存在し、このエネルギーこそがこの世のすべてのものに形を与えている――アインシュタインの有名な公式E=mc2を連想させる出だしである――河川や山岳といった大地の造形も、太陽や月、空に浮かぶ無数の天体も、「気」が作用した結果の産物であり、人間世界の一切、歴史や社会、政治や経済も、「気」の支配を受けぬものは無い。政治が正しく行われていれば、「気」は平和と繁栄をもたらし、時代の危機に差し掛かると、「気」は様々な凶兆変事となって姿を現し、歴史に刻まれる。

文天祥のような、中国思想の正統に連なる教養人に言わせれば、「気」とは自然科学・人文哲学を問わず、森羅万象に作用を及ぼす根本概念なのである。目に見えず触れることもできないが、彼にとって「気」は、現代人にとっての万有引力の法則や金銭の信用力と同じく、疑いようのない普遍的実在として感じられているのであろう。

哀れ、牢に繋がれしこの誇り高き武人は、自らの悲運も「気」のなせる業であると見定めて、祖国と行く末を共にする決意を固めた。彼が死に赴くのは、正しく「気のせい」である。

客観的な検査データとあまりにかけ離れた愁訴を長々訴える患者には、つい「気のせいだ」という言葉を投げかけがちになる。「なんでこんな患者を診なきゃいけないんだ!」そんなとき、「正気の歌」を詠んだ彼はこう言うかもしれない。あなたが医者になったのも、そんな患者に出会ってしまうのも、対処に困って途方に暮れるのも、すべては「気のせい」なんだよ、と。

 

 

つだ・とくたろう

京都大学医学部卒業。天理よろづ相談所病院、東京女子医大膠原病リウマチ痛風センター、北里大学東洋医学総合研究所などを経て、現職。
日本医科大学東洋医学科非常勤講師。日本内科学会総合内科専門医、日本リウマチ学会専門医・指導医、日本東洋医学会漢方専門医。 著書『未来の漢方』『漢方水先案内―医学の東へ』など

※ドクターズマガジン2015年8月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。

津田 篤太郎

【Doctor’s Opinion】“ 気”とは何か?

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