記事・インタビュー
特定非営利活動法人
健康と病いの語りディペックス・ジャパン理事長
別府 宏圀
病いの経験の研究には何か根本的なものがあり、それが我々一人ひとりに、人間のありかたについて、患うことや死をも含めて、普遍的な何かを教えてくれる―これは疾病体験の語り(Illness Narratives)に関する記念碑的著作「病いの語り」(誠信書房/江口重幸他訳)を書いたアーサー・クラインマンの言葉である。病歴を聴き取ることは診断学の基本であり、患者の語る言葉に耳を傾けることの大切さを知らない医師はいないが、それは飽くまでも疾患(Disease) 中心の理解に過ぎない。病むこと(Illness) がその患者にもたらす生活の変化、社会的・経済的変化、家族や友人との関係、不安・怒り・悲しみ・喜び・諦め・勇気・知恵、その全てを知ることによって、はじめて病気と患者の全貌が見えてくる。インフォームド・コンセントや患者の自己決定権、患者中心の医療という言葉は浸透したが、医療は一向に変わらないという批判が絶えないのは、このあたりに問題があるからだろう。平易な言葉で、患者の視点に立った説明をすると言いながら、実は自分たちの論理、自分たちの意向を伝えることだけに急で、相手の言葉から何かを学び取ろうとする姿勢が今の医療には欠けているのではないだろうか。
疾病体験の語りをネット上に公開するディペックス(DIPEx:Databaseof Individual Patient Experiences)の活動がイギリスで始まり、日本でもこれにならって患者の語りを収集する試みが始まったことは、5年前にもこのDoctor’s Opinion 欄で書いた。当時は乳がん・前立腺がんの二疾患だけだったが、その後、認知症・大腸がん検診が加わり、今は臨床試験体験者と慢性疼痛患者を対象としたインタビューが進行中である(http://www.dipex-j.org)。ディペックスはイギリス、日本ばかりでなくドイツ、オランダ、スペインなど9ヶ国に広がり、国際組織DIPEx International も結成され、昨年夏には京都大学芝蘭会館で最初の国際シンポジウムが開かれた。基調講演では、臨床薬理学者で、ディペックス創設者の一人でもあるヘルクスハイマー氏が、疾病体験を医師・患者が共有することにより相互理解やコミュニケーションが改善し、医学教育や臨床現場での感受性が豊かになり、誤解を減らす効果があると述べ、オックスフォード大Health Experience ResearchGroup 研究主任のジーブランド氏は、疾病体験の語りを活用することで、より良いヘルスケアの実現が可能になり、健康情報を横断的に共有することで、患者がケアの選択に関わりやすくなると述べた。ドイツのフライブルグ大学心理学研究所教授でDIPEx International会長(当時)のルチウス・ホェーネ氏は患者の疾病体験に関する比較文化的研究を行うことで、癒やしの哲学や病気のとらえ方が豊かになることを強調した。
病気はとかくネガティブに捉えられがちだが、病いを得たことで生きていることの意味をより深く理解する場合があり、そうした人たちの言葉が、逆に、健康な日々を無意識に過ごしている我々に力を与えてくれるのである。
患者にしか語れない言葉―その魅力に惹かれて10年が過ぎようとしている。
※ドクターズマガジン2015年4月号に掲載するためにご執筆いただいたものです。
別府 宏圀
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