記事・インタビュー

2025.07.01

民事再生を乗り越え、再び地域の光に。地元に根差す “西淀川の名取さん”

民事再生を乗り越え、再び地域の光に。地元に根差す “西淀川の名取さん”

大阪市の人気エリアで60年以上にわたり、地域に根差した医療を提供する「名取病院」。 “西淀川の名取さん”と親しまれるなど、地域にとって欠かせない存在ですが、歩んできた道のりは決して平たんなものではありませんでした。
2019年には民事再生という困難を経験。復活の背景には、地域との深い絆やスタッフ一人ひとりの強い想いがありました。
今回は、理事長の西原文現先生と、長年名取病院を支えてきた放射線技師の山本健生さんに、再生の原動力や現在の職場環境、そしてこれからの展望についてお話を伺いました。

<お話を伺った方>

西原 文現 先生

理事長
西原 文現 先生

1972年生まれ、大阪府出身。2018年に理事長として名取病院へ入職。

山本 健生 さん

放射線技師 技師長
山本 健生 さん

1970年生まれ、大阪府出身。1998年に入職。

外来から救急まで。60余年地域とともに歩む “西淀川の名取さん”

Q: 名取病院は大阪と兵庫の間に位置する地域で長年にわたり医療を提供されていますが、その歴史や現在の規模について教えていただけますか?
病院外観

 西原先生 

当院は昭和34年に「名取外科診療所」として開設した病院です。平成7年に医療法人博悠会を設立し、その後、老人保健施設やグループホームを開設するなど、少しずつ規模を拡大してきました。
患者さんのなかには、当院を“西淀川の名取さん”と呼び、長年かかりつけにしてくださっている方もいます。平成の頃までは医師と患者さん、ご家族とで野球チームを組んでいたこともあり、「あの先生のショートの守備はすばらしかった」といったエピソードを患者さんから伺うこともあるんです。
地域に根ざした医療機関という役割を担うなか、より地域医療に貢献したいという思いから、昨年12月に救急告示病院として認可を受け、現在は二次救急の対応も行っています。はじまったばかりということもあり搬送件数はまだ月に15件ほどですが、徐々に増えている実感があります。

Q: 医師や患者さんは何名くらいいらっしゃいますか。

 西原先生 

訪問診療を含めた外来の患者数は一日85名前後で、高齢の方が多いです。医師は私を含め常勤が7名。ほかに、非常勤の医師が数名おります。

民事再生からの復活。スタッフ一丸となり、同じ目標へ

Q: 2019年に民事再生法の適用を受けることとなった経緯を教えてください。
西原先生と山本さん

 西原先生 

経緯としては前々理事長の代にまでさかのぼります。初代理事長のご子息である前々理事長が、脳出血を発症し、急遽退任することになったんです。その後、外部の医師が理事長に就任しましたが、いろいろとうまくいかないことがあったようで、2018年に私が理事長として入職したときは、かなり切迫した状況でした。そこから最終的に、民事再生の申立てに踏み切っています。

 

 山本さん 

私はこの病院に勤めて27年になりますが、理事長が就任される前は非常に厳しい状況でした。病院の将来のビジョンも見えず、多くのスタッフが「これからどう進めばいいのか」と迷いながら働いていたように思います。
しかし、理事長が就任されてからは、病院全体の雰囲気が前向きに変わっていきました。現在では、病院を中心に、回復期リハビリテーション病棟や老人保健施設、グループホーム、訪問診療など、さまざまな機能が整っています。そして、それぞれが助け合いながら、一つの目標に向かって進んでいける体制ができています。
放射線技師として特にうれしいのは、高精度なMRIやCTを活用できる環境が整ってきたことです。今はその技術を最大限に活かせるようになったと実感しています。

Q: 現在は協会けんぽの健診実施機関としても復活し、再び地域にとって欠かせない存在となっていますが、再生に取り組むなかでの原動力は何だったのでしょうか。
西原先生

 西原先生 

原動力の一つは、当時いろんな噂もあったと思うのですが、そうしたなかでも先ほどの野球のエピソードのように、患者さんたちが医師の話を楽しそうに語ってくれたことです。その姿から、これまで築いてきた信頼関係は途絶えていないと実感しました。だからこそ、“西淀川の名取さん”としての役割を再び果たせるようになったことを、本当にうれしく思っています。

もうひとつは、私が入職した際に、職員の目が死んでいなかったことです。たとえば、それまでほとんど稼働していなかったMRIを前に、山本さんが「この機械、本当にいいものなんです」と熱意を持って活かそうとしていたんですね。そんなふうに頑張っている職員がいる。「この病院はまだまだいけるはずだ」と思いました。
当時の名取病院を人にたとえるなら、少し重い肺炎にかかったような状態です。きちんと治療を施せば必ず回復できるだろうと感じていました。

Q:山本さんは、西原先生とはじめてお会いした時にどんな印象を受けましたか?
山本さん

 山本さん 

正直なところ、最初は「怖い方なのかな?」と思い、少し距離を置いていたんです。けれども実際には冗談を交えながら話しかけてくださるなど、スタッフへの気配りを欠かさない方で、その人柄に触れるたびに距離が縮まっていきました。
そんな理事長だからこそ、「自分のできることをすべて出し切ろう」「精一杯やったろか!」という気持ちになれましたし、病院を良くしていこうという思いがスタッフ全体に広がっていました。それが、今の病院の良い雰囲気をつくっているのだと思います。

Q:働きやすさという視点から、現在の環境はいかがでしょうか?
山本さん

 山本さん 

ここ数年でスタッフ同士のディスカッションが活発になり、医師もコメディカルも良い距離感になっているように感じます。
なによりうれしいのは、検査所見を伝えた際に、理事長からもほかの医師からも「ありがとう」と感謝の言葉が返ってくることです。私たちが医師に対して何かを伝えるのは少し勇気がいることでもありますが、理事長自らが感謝の言葉をかけてくれるため、励みになりますし、やりがいにつながっています。

また、新たに始めたコミュニケーション研修も一つの大きな前進でした。開始当初に比べると参加率も上がり、研修後に実施した接遇に関するアンケートでは、好意的な回答が寄せられました。外部の施設の方からも「皆さん笑顔で挨拶してくれますよね」「雰囲気が良いですね」と言っていただけるようになり、小さな変革かもしれませんが、病院にとって確かな変化を生んだと感じています。

私自身のことでいうと、50歳のときにX線CT認定技師と胃がん検診専門技師、肺がんCT検診認定技師の試験を受け、資格を取得しました。勉強したいと相談したときにはみんなが応援してくれて、そうした職場環境には本当に感謝しています。資格を得たことで、今はとても充実した日々を送っています。

地域医療を支える存在であり続けるために、マルチに活躍する医師を募集

Q:現在医師を募集されているとのことで、勤務体制を教えてください。

 西原先生 

勤務日数は週4.5日から5日です。当直はなく、オンコールもほぼありません。早番と遅番は基本的に週1回ずつ担当してもらいますが、医師によっては早番の対応が難しいため、遅番を週2回やっている方もいらっしゃいます。希望があれば気軽にご相談ください。

Q:最後に、求める医師像や今後のビジョンをお聞かせください。
西原先生と山本さん

 西原先生 

当院はこのエリアの医療を支える存在ですので、ご自身の見聞を広める、技術を磨くという意味でも、専門領域か否かに関わらず、マルチに診療する先生に来ていただきたいです。特に、地域医療に広範囲で携わりたい先生には合っていると思います。
地域に根差すという思いはこれからも変わりません。何かあったときに、住民の皆さんが自然と「西淀川の名取さん」と頭に浮かぶ、そんな存在であり続けたいです。

募集要項

施設名
医療法人博悠会 名取病院
所在地
大阪市西淀川区大野2丁目1番32号
アクセス
阪神電車なんば線福駅より徒歩7分
許可病床数
83床(地域包括医療病棟23床、回復期リハビリテーション病棟60床)
募集科目
内科・リハビリテーション科
勤務日数
4.5~5日/週
勤務時間
9:00~17:00(土曜日 9:00~13:00)
当直/オンコール
給与
1,400万円~1,800万円
勤務内容
内科:外来(健診)診療・病棟管理・救急対応・訪問診療
リハビリ科:病棟管理・救急対応
採用プロセス
面談
募集背景
欠員による補充
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